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「一本角煮野菜味噌ラーメン」@とろこく味噌らーめん みそや源兵衛 インターパーク店の写真僕は宇都宮市の南端、インターパークという広大なフラット・エリアに車を停めていた。巨大なショッピングモール群はすでに一日の呼吸を終えようとしており、広大なアスファルトの駐車場には、冬の乾いた風が虚無的に吹き抜けている。
ふと、強烈な空腹を覚えた。それは単なる胃袋のサインというよりは、冷え切った精神が「確かな熱と質量」を要求しているような、切実な飢餓感だった。
僕は導かれるように、ひとつの暖簾をくぐった。「みそや源兵衛」。店内には温かな湯気と、遠い記憶を呼び覚ますような大豆の発酵した香りが満ちている。

カウンター席に案内され、見慣れたメニューの前で僕は奇妙な二面性に引き裂かれていた。日々の不摂生をリセットするために、大地の恵みである「野菜」をたっぷり摂りたいという理性。しかし同時に、何か決定的な、暴力的なまでの「カロリーの塊」に支配されたいという抗いがたい欲望。
気がつけば、僕は「一本角煮野菜味噌ラーメン」をオーダーしていた。やれやれ。人はなぜ、免罪符のように野菜を求めながら、その真ん中に巨大な肉の塊を鎮座させずにはいられないのだろう。しかし、それこそが人間の持つ、愛すべき矛盾というものなのかもしれない。

カウンターに運ばれてきた丼を見た瞬間、僕は静かなため息を漏らした。そこにはひとつの「完成された生態系」が存在していた。
350グラムという、圧倒的な物量の野菜たち。
キャベツ、もやし、ニンジン、そして根菜。それらは丼の中で小高い森を形成している。そして、その緑と大地の色の森を分断するように、漆黒の特製ダレを纏った「一本角煮」が、まるで古代の遺跡から発掘されたモノリス(石柱)のように、でんと横たわっていたのだ。

まずは、角煮の誘惑を一旦脇に置き、スープを一口すする。宇都宮の老舗「青源味噌」が寛永時代から400年にわたって繋いできたという味噌。そのスープには、暴力的な油のパンチはない。代わりに、大豆の深いコクと根菜から溶け出した丸い甘みが、静かな波のように口の中を満たしていく。
400年。それは僕らのようなちっぽけな個人には到底計り知れない時間だ。その途方もない歳月の蓄積を、僕は今、レンゲ一杯のスープとして飲み込んでいる。

次に森を崩す。
熱々のスープを潜った野菜たちは、しんなりとしているようでいて噛むと「シャキッ」という確かな生命力の音を立てる。ちょうどよい塩梅に炒められたそれは、野菜本来の甘みを少しも失っていない。350グラムという量は決して少なくないが、この味噌スープと合わさることで、まるで身体がスポンジのように大地の栄養を吸収していくのがわかる。

そしてついに、僕は丼の中央に横たわる「それ」と対峙する。
箸で持ち上げようとすると、その重量感に指の筋肉がわずかに緊張する。長さは優に10センチを超え、厚みも申し分ない。
箸を入れると驚くべきことが起きた。力などほとんど必要なかったのだ。
特製ダレでとことん煮込まれた巨大な豚肉は、箸の圧力だけで、まるで冬の朝の霜柱のようにホロホロと崩れていく。
崩れた一片を口に運ぶ。その瞬間、甘辛いタレの深い味わいと極限までトロトロになった脂身の甘さが、脳の報酬系を激しくノックした。赤身の部分にはしっかりと肉の繊維を感じるのに、脂身は舌の上で瞬時に液体へと還っていく。

「こんなものを食べていいのだろうか?」というささやかな罪悪感は、二口目を食べる頃には完全に消え去っていた。美味しいものを前にしたとき、倫理や健康といった概念は、かくも無力なものなのだ。

食べ進めるうちに、角煮から染み出した甘辛いタレと豚の脂が少しずつ源兵衛のあっさりとした味噌スープに溶け出していく。これがたまらなく素晴らしい。
最初は「大地のスープ」だったものが、角煮という強烈な他者を受け入れることでより重層的でより野性的なスープへと変貌していくのだ。

野菜の森と角煮の遺跡の底から、特注の中太麺を引きずり出す。丸刃でカットされたというその麺は、表面がつるつると滑らかで噛むとモチッとした心地よい弾力がある。
この麺の素晴らしいところは、自分の存在を過剰に主張しないことだ。野菜のシャキシャキ感、角煮の暴力的な旨味、そして400年の味噌スープ。それら個性的な役者たちの間を取り持つ、極めて優秀な「調停者」として機能している。

後半戦。
角煮の脂と味噌の甘みに少しだけ舌が慣れてきた頃、僕は追加の無料オーダー「ニンニク生姜酢」に手を伸ばす。この透明な液体を丼に二周ほど回しかける。たったそれだけで、物語の景色は一変した。お酢のシャープな酸味が角煮の脂をスッと断ち切り、生姜の清涼感が口の中を吹き抜ける。そして遅れてやってくるニンニクの力強いパンチ。重厚なクラシック音楽を聴いていたはずが、不意にアップテンポなジャズ・セッションに切り替わったような、痛快な場面転換(シフトチェンジ)だ。この魔法の数滴のおかげで、僕は最後の一口まで一切の倦怠感を知ることなく、巨大な角煮と野菜の森を平らげることができた。

最後の一滴のスープを飲み干したとき、僕は深い深い息を吐き出した。
丼は空になり、僕の胃袋の中には、大地の野菜と、一本角煮という巨大な熱源が、確かな重みを持って収まっている。健康を求める理性と、脂を求める本能。その矛盾を抱えたまま僕らは明日もまた、この不完全な世界を生きていかなければならない。しかし、源兵衛の「一本角煮野菜味噌ラーメン」は、その矛盾を丼という小さな宇宙の中で、見事に調和させてみせたのだ。

自動ドアを抜け駐車場に出る。
2月下旬の宇都宮の風は相変わらず冷たかったが、僕の足取りは店に入る前よりもずっと力強く、そして少しだけ前向きになっていた。コートのポケットに手を突っ込みながら、僕は満天の星空(実際には曇っていたかもしれないが、気分としてはそうだ)を見上げた。

明日もまた、良い日になるかもしれない。 少なくとも、あの角煮の余韻が体内に残っている間は。

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